[ネタバレ注意]レビュー「かがみの孤城」辻村深月(2017年ポプラ社)
「読書感想文書かなきゃいけないから、この本買って。」
何冊か指定された本の中から高校生の娘が選んだのが同書「かがみの孤城」だった。そして、期限ギリギリで感想文を提出した後、私にも読んで欲しいと持ってきた。読了した今、なるほどな、と彼女の気持ちが分かった気もするし、もっときちんと考えたいとも思う。なので、ここにレビューがてら感想を書いておきたいと思った。
あらすじ(盛大にネタバレします。ご注意ください。)

中学1年生のこころは、中学入学して以来の不登校だ。理由は友達真田から一方的に絡まれ「外し」にあっているため。友達になったはずの転入生萌からも疎まれ、ついに真田一味が自宅に押しかけると言う騒動を起こしたため、身の危険を感じ通学ができなくなってしまった。
彼女の母親はどうにかして娘を社会復帰させたいと思い、手段を講じている。最初はこころの不登校を受け止めきれず、不快な気持ちを態度で表したりして親子間のわだかまりも多々あるが、フリースクール「心の教室」で喜多島先生に出会うことで、娘への理解を深め、寄り添っていく。
ある日、部屋の鏡が不思議な色に光って異世界に通じたことから、こころはかがみの孤城に自分の居場所を得る。そこにはこころを含めて雪科第五中学校の不登校児7名が集められ、管理人「オオカミさま」に与えられた謎解きをしながら交流をはかり、それぞれに仲間意識が芽生える。
現実世界と異世界とを行き来しながら、こころは喜多嶋先生や城の仲間たちの言動に気づきを得、また、癒され、自分の居場所や存在価値を自覚する。
謎解きの期限である3月30日の前日、仲間の一人が城のルールを破ったことから、異世界は破綻し仲間はへと向かうが、仲間に託された願いに動かされて「鍵」によって謎解きを遂行し、現実で仲間たちと落ち合えないことについて答え合わせを行う。
集められた仲間は、同じ地域で生活していながらも時間軸を異にしているため、現実世界で助け合うことはできないと判明した。だが、ここでの経験を通して自立心を涵養した子供たちは、城での記憶を失ってもちゃんと大人になり再会しよう、と誓い、現実世界(中学校生活)へと戻っていく。
この不思議な異世界「かがみの孤城」は、実は仲間の一人リオンの姉が作り出した空想世界であった。リオンは答えあわせの後、「オオカミさま」が病死する直前の姉ミオで、孤城が彼女が好きだったドールハウスであると気づく。リオンもまた姉の末期や母の行動の回想から自分の存在を認め、前進する。
異世界のルールを破ったアキは、時間軸の最も古い位置から召喚されていた人物なのだが、現実世界で義理の父親にレイプされるなど仲間内で最も悲惨な環境にある子供だった。だが、異世界が破綻した時こころに助けあげられたことにより、手を差し伸べる人の存在を痛感して人を信じらるようになる。アキも現実世界(中学3年を留年)に戻った後、人の助けを受けてスレた生活から脱却し、大学に進学して教育方面を志向する。後にミオの主治医喜多島と結婚し、フリースクール「心の教室」で不登校初期のこころと再会し支援を心に誓うのだった。
感想
不登校の実情
作者は不登校の子どもたちについて実情を相当しっかりと取材したのだろうと思った。子供や子供の友達の母親から見聞きする不登校の生徒の家庭の実情が、本当に詳しく書かれている。子供たちが身動きできずにもがいている時、母親も同様にもがいている。その時期は、子供でありながら自立しようとする「反抗期」とも呼ばれる年齢。自意識の高まりとスキルの拙さが相克し、悩みを素直に打ち明けることができない。庇護する立場の母親にはなおさらのこと。子どもにとっては逆に自立を妨げる存在であるからだ。母親の悩みは尽きず、なんとかして子供の意識を外に向けようとする姿には胸がふさがる思いだった。
本書でも不登校児童と会いたいする母親の姿が娘の目を通して描かれている。最初は学校に復帰させたい。そのために勧めたフリースクールであったかと思う。この家庭は共働きなので、主人公は昼間世を恨みながら一人自宅でテレビを見て息を潜めて過ごしている。そんな閉塞感と友人へのネガティヴな感情の描写が序盤のほとんどを占めている。
学校は重要な居場所ではない?
学校とは。義務教育を受ける年齢の子供たちがいくべき場所。親など監護者には子どもに教育を受けさせる義務がある。それは知識を身につけるだけではなく、社会性や文化を身につける場所である。だが、なぜ、その場所が学区制で指定されているのだろうか。その理由は、もっとも経営的視点において効率的だからだ。なので、もし、保護者や児童が指定された学校に行かず私立の小中学校を選択したら、親は本来平等であるべき公共サービスを受けられず、大きな経済的負担を負うことになっている。一方、ヨーロッパのような社会制度が成熟した国では、義務教育といえども教育機関を自由に選択できる場合も多い。本書で再三述べられるように、学校が子供の居場所の全てではない。子供の個性や能力に多様性があるように、日本も子供が教育を受ける場所についても選択肢を広げる時期に来たのかもしれない。
親の役割、教師の役割
本書では、主人公がいじめの解決を母親や教師に依存する場面が多々ある。自分の知らないところで、だれかが真相を突き詰めて自分を救ってくれるのではないかとの淡い願望があるようだ。しかし、実際はなかなかうまくいかないのだろう。本書のストーリーでは、転校が決まった近隣に住む友人が、フリースクールの教師に実情を告白すること、そしてその教師(喜多島)が母親に「こころちゃんは闘っている」と伝えたことを本人が母親から聞いたことで一気に解決に向かっている。だが、現場教師は一方的に加害側の生徒の意見をきくのみで、大きな声を上げる者の悩みを解消することしか頭にない。現実問題として、現場教師は当事者間に立ちジャッジに関わる大事な役割を持っている。なので、今後、いじめ問題の取り扱いについては十分な研究がなされ、現場の教師がソーシャルワーカーとして機能するべく必要な養成に関する制度づくり、そうでなければ、問題の早期表出とソーシャルワーカーとの連携ができるような制度づくりを進めてほしい。
さて、十代の子供の心は本当に繊細だ。親が良かれと思ったことでも干渉ととらえられ、叱咤激励の言葉に深く傷ついたりするので手に負えない。まさに、腫れ物に触るような思いで相対し温かい目で見守っているのに、都合のいい時は親を頼って干渉することを希望する、そんな可愛い生き物だ。愛情があるからこそぶつかり合う時もあるし、子供が言って欲しい言葉をかけるのは難しい。私も、せめて本書の母親のように、子供を理解しようと努力すること、それと、自分が信用に足る人間であるように努力することを心がけたい。
人は一人では生きられない
学校という集団がから逃げ出した主人公であるが、本書からわかるのは、人は誰しも孤独であるし、だからこそ人との関わりの中でしか生きられない。そして、そうしながら成長していく動物だということ。
娘は何を感じて欲しかったのか
読了してから娘になぜ私にこの本を薦めたのか尋ねたところ、意外な質問だったのか、少し考えてみたのか、ちょっとの間の後「さあ。」と流されてしまった。それは言えないのだな、と思って次の二つのことを推察した。
ひとつは、単にこの本のギミックの面白さを体感して欲しいと思ったから。本書の、最後の章とエピローグでの謎解きと答えあわせ、種明かしによる伏線回収は本当に見事なのだ。このすっきり感は本書の1番の醍醐味と言えるだろう。
もうひとつは、この親子のつながりが自分の理想の形の一つであると、彼女なりの方法で示唆したのだと思う。最終的に主人公の母親は、娘にとって頼れる存在であり、自分のために奔走してくれる人物として描かれており、それがゆえに主人公が心を開いていくからだ。最初にこの本の感想を聞いた時(私は未読だったのだが)、家族が自分の期待を裏切らなかったことを喜んでいた。私だって、いつだって君のために動くよ。そして、ついつい色々口出ししてしまうので、過干渉にならないよう、彼女の自尊心を傷つけないように関わっていこうと思った。
この本を薦めたい人
本書はいじめ問題を解決するのに役立つとはいえないだろうが、作者がこの問題を詳しく描き出しているので状況を理解するのに示唆的だ。なので、次のような人には是非読んでみて欲しいと思った。
- 身近なところにいじめを感じている生徒さん
- 思春期の娘を持つ父親・母親
- 中学校・高等学校の先生
- 多感な思春期を傷つきながら過ごした人
また、読書感想文の図書としてもよいのではないだろうか。ファンタジー要素があるため少々描きにくさもあると思うが、人間の相互行為と自己をみつめることの大切さに真っ向から対峙して買いてみて欲しい。
この本のギミック
この本のギミックは3つほどある。それは簡潔にあげると「童話」、「孤城」、「喜多島」だが、最初の2つについては若干稚拙に感じるのではないか。特に書籍の中で様々な世界観に触れたり、ギミックに慣れている人にそういう人が多いかもしれない。だが、それらのギミックが、ストーリー上で登場人物である少女ミオが病床で描いた虚構世界であると説明されているため、もしかしたら、作者は意図して完璧さから引き算を行なったのではないだろうか。なので、大人にはもやもやや作り込みの物足りなさがが残るだろうが、中高生にとって最後のどんでん返し的な伏線の回収は、すっきりとした読後感をもたらすようだ。
雑感
本書は2018年の本屋大賞受賞作らしく、大きな社会問題に取り組み、謎解きと融合させて読み手を引き込む。そして、読了後の満足感とともにささやかな知見をも感じられる、そんな良作であると思った。

どうやら私はカフェイン中毒らしく、コーヒーがなくなったと気づくと一気にやる気が失われるのですが、先ほどパントリーをあさると棚の奥底から賞味期限切れのネパールLalitpur(ラリトプール)産 Export Quality のコーヒービーンズが出てきました。こんな風にしまわれているなんて、口に合わなかったのかな? これは家人からの土産というより、多分、先方でお世話になっている方からの頂き物なんだろうな、どうしよう、とカフェイン切れの頭でひとしきり悩んだ後、電動ミルで豆を挽き紙ドリップで淹れてみることに。

